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野田小4虐待死1年 心愛さん、届かなかった「自分への手紙」:社会(TOKYO Web) - 東京新聞

亡くなる3カ月前、栗原心愛さんが2018年10月に書いた「自分への手紙」。約5カ月後の終業式で見るはずだったが、その前の19年1月24日に亡くなった

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 千葉県野田市の小学四年生栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が親から虐待を受けて死亡した事件から、二十四日で一年。傷害致死罪などで起訴された父勇一郎被告(42)の両親らが本紙の取材に応じた。家族の話や心愛さんが残した作文からは、不安定な家庭環境でも希望を失わず、懸命に生きていた姿が浮かぶ。 (北島忠輔)

 昨年三月二十七日。心愛さんが通っていた小学校の教頭から祖母(68)に「通知表を作りました。受け取ってもらえますか」と電話があった。

 教頭は通知表や作文、絵などを手渡した最後に、「これは昨年(二〇一八年)十月に書いたものです」と一枚のプリントを差し出した。終業式に向けて、心愛さんが書いた「自分への手紙」だった。

 「三月の終業式の日。あなたは漢字もできて、理科や社会も完ペキだと思います。十月にたてためあて、もうたっせいできましたか」「五年生になってもそのままのあなたでいてください」

 鉛筆で書かれた、きちょうめんな字が並んでいた。

 「未来のあなたを見たいです。あきらめないで下さい」−。最後の一文が目に留まり、祖母はその場で泣き崩れた。

 心愛さんが「手紙」を書いた一八年十月は、勇一郎被告らと住んでいたアパートに近い祖父母宅から通学していた時期。心愛さんは音楽会で歌うパートを風呂で練習し、「五年生になったら金管バンドに入る」と楽しそうに話していた。祖父は「箸の持ち方から、年下のいとこの面倒を見ることまで、心も体も成長した時期だった」と振り返る。

 十二月の持久走大会は完走。学校に提出した日記には「全力で走りきりました」「満ぞくいかない順位になってしまいました。でも、とてもいいタイムを出せたかなと思いました」とつづった。

 勇一郎被告の妹は、心愛さんが「パパに『よく頑張ったな。順位よりも最後まで走ることに意味がある』と頭をなでられたんだよ」と話していたことを覚えている。「兄は『何事もやり遂げる子になってほしい』と話していた。心愛も『パパに認められたい』と頑張っていた」

 持久走大会から三週間後のクリスマスの日、心愛さんは父親のアパートへ戻った。起訴状によると、勇一郎被告はその年末から翌年一月にかけて心愛さんに暴行を加え、死亡させたとされる。「あきらめないで」と自らを励ました「手紙」を手にする前に、心愛さんは短い生涯を終えた。

 「孫を失い、息子が罪に問われるなど、想像もしなかった」

 祖父母宅の居間のテーブルには、心愛さんの写真やランドセルが置かれている。「私たちが会う時は、虐待の形跡は見当たらなかった。近くにいながら助けてやれず、悔やみきれません」。この一年、祖母は勇一郎被告と面会できていない。「心愛ちゃんに対して、どう思っているか。裁判で見届けたい」と話した。

<千葉県の小4女児虐待死事件> 千葉県野田市立小4年の栗原心愛さん=当時(10)=が2019年1月24日、自宅浴室で死亡し、父親の勇一郎被告が傷害致死罪などに、母親が傷害ほう助罪に問われた。17年11月、心愛さんは学校アンケートで「お父さんにぼう力を受けています。先生、どうにかできませんか」と訴え、県柏児童相談所が一時保護したが、約1カ月半後に解除した。事件後、アンケートの写しを市教委が勇一郎被告に渡していたことが発覚するなど、行政対応が問題となった。母親は19年7月、執行猶予付きの有罪判決が確定。勇一郎被告の裁判員裁判初公判は2月21日に千葉地裁で予定されている。

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January 25, 2020 at 05:49AM
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