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電気屋の父さんの背中 - NHK NEWS WEB

電気屋の父さんの背中

「おまえを一番愛している」
東日本大震災を境に父子家庭になった親子の間で交わされた言葉です。岩手県陸前高田市で電気店を営む男性は「俺についてくれば大丈夫だ」という思いを込めて、折に触れて息子をこの言葉で励ましました。その息子はこの春、高校を卒業。父と同じ道を目指して歩み始めました。二人三脚で歩んできた2人に訪れた新たな春を見つめました。(盛岡放送局記者 大山徹)

あの日から9年、卒業の日

陸前高田市の高田高校で3月1日、1人の高校生が卒業の日を迎えました。
吉田芳広さん(18)

東日本大震災で祖母の静子さん(当時72)、母の眞紀子さん(当時33)、弟の将寛くん(当時5)を亡くしました。

芳広さんが入場する姿を見つめるのは父の寛さん(42)

市内で電気店を営みながら、震災後、男手一つで、芳広さんを育ててきました。

あの日から9年。NHKは2人の姿を見つめ続けてきました。

一変した生活

東日本大震災の前、吉田さん一家は市の中心部で電気店を営んでいました。

しかし、震災の津波で店を兼ねた住宅は流され、寛さんと芳広さん以外の3人が亡くなりました。

私たちが初めて2人を取材したのは震災直後。父と子2人きりになり、まだ避難所で過ごしていたころでした。

このころから、寛さんはある言葉を芳広さんにかけるようになります。

「世界で一番愛している」

学校でつらいことがあって泣いて帰ってきたときなど、寛さんは折に触れて、この言葉を送ったといいます。

寛さん
「震災を経験した子どもは不安の塊です。俺以外に頼る人がいないんです。俺についてくれば絶対大丈夫だと、ちゃんと見ているよ、という思いを込めていました」

震災で一変した2人の生活は厳しいものでした。寛さんが当時小学生だった芳広さんの育児、家事、仕事とすべて1人でこなさなければなりませんでした。

新たな店を構えて電気店の仕事を再開したところ、震災で地元の電気店が大きく減ったのに加えて家を再建する人たちから工事の依頼が急増。

帰宅はいつも深夜になり、芳広さんは1人、留守番をしながら宿題や食事を済ませる日が続きました。

芳広さん
「周りには心配かけないように、笑っていることが多かったです。でも、もともと母にくっつかないと寝られないような甘えん坊だったので、すごくさみしかったです」

寛さん
「仕事と子育ての両立は不可能でした。子育てしていないも同然でした。仕事をしないと食べていけないという事情があれ、息子に寂しい思いをさせたことは、今でも強く後悔しています」

父の知らぬ間に成長する息子

息子と向き合えない日々に葛藤を抱えていた寛さん。

その一方、芳広さんは1人で過ごす夜を少しずつ乗り越え、自立していきました。

その一つが食事です。中学生の頃から芳広さんは、食事を自分で作るようになりました。得意なのは肉料理。高校3年間の昼食の弁当は自分で作ったといいます。

いまでは夕食を作るのは芳広さんの担当。
取材をした日は初めてのカツ丼に挑戦しました。

下味の付け方、肉の揚げ方。少し苦戦しながらも、スマホで作り方を見ながら完成させました。

「味が薄くないか?」

そう心配する芳広さんをよそに、寛さんは「格別にうまい」とうれしそうにほおばっていました。

父のように…

芳広さんは部活や勉強の合間を縫って、父の仕事を手伝うようにもなりました。ここで目の当たりにしたのは地域の人たちから厚い信頼を集める父の姿です。

商品の販売から取り付け、そして修理に至るまで、客のあらゆる要望に電話1本で駆けつける寛さん。陸前高田市内に建てられた防災無線の設置工事も手がけました。

芳広さん
「すごいと思いました。何気なく聞いている防災無線も自分の親が作ったのかと思うと友達にも自慢できます。誇りですよね」

父の背中を見て、芳広さんは父と同じ「街の電気屋」を目指すことを決めました。高校を卒業後、陸前高田を離れ、5月から仙台の電気工事会社で働きながら基礎を学ぶことにしました。

そしていつか、ふるさとに帰りたいと考えています。

芳広さん
「電気屋の仕事は信頼関係があってこそ。だから、感謝されたり尊敬されたりする電気屋になりたいです。そのために、しっかりした知識を得て人を引っ張れる人間になって戻ってきたい」

寛さん
「息子は息子で、違う名前で電気屋をやればいいと思う。俺はその下請けになります。おやじが引っ張るのではなく、早く息子に引っ張られたいです」

生きてくれた。生きていてほしい

あの日から9年間、続けてきた二人三脚。息子がふるさとを離れることになり、いったん区切りを迎えます。

そのとき父は息子へ、また息子は父へそれぞれ「生きていてほしい」と呼びかけました。

芳広さん
「父さんは、家が津波で流されて全部失っても、また一から始めました。仕事を続けて、生きてくれていることにいちばん感謝しています。それでなければ、俺が、いまここで生きていることもないですから。いま、普通に生きていられることに感謝しています」

寛さん
「たった1人の息子なんで、生きてさえいてくれれば、それが何よりじゃないでしょうか。仙台に行っても、生き抜くということを貫いてほしいです。頑張る必要はないと思います。芳広は、もう震災があったときから十分、頑張ってきましたから」

息子への愛情をストレートに表現する寛さん。
そして父への感謝を素直に口にする芳広さん。
こんな父子がいるのか…。
目頭を熱くする私を2人は冷静に見つめ、こう続けました。

「妻が生きていれば、愛しているなんて、息子に言わなかったかも」
「震災前は、ただの怖い親父としか思ってなかった」


「ーーーあの震災がなければね」

そう言われた気もしました。

寛さんと芳広さんの固い絆は、家族を奪われたあの大震災から2人が必死に積み重ねた日々で生まれたものではないのか。

そう思うと、あの日、親子を襲った天災のもたらしたものの大きさと、9年という時間の重さを感じずにはいられませんでした。

「震災を風化させたくないから、何でも聞いて」

そう語りかけてくれる2人の気持ちに応える取材を今後も続けたいと思います。

盛岡放送局記者 
大山徹
平成21年入局 
県政を担当。3児の父。子育てや医療なども取材。

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April 22, 2020 at 03:23PM
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