スバル(SUBARU)は2008年、軽自動車の生産から撤退した。赤字体質から抜け出せないためだが、それは国内販売の3分の2を占めるメイン事業を切り捨てることを意味した。異例の決断の背景には何があったのか——。
※本稿は、野地秩嘉『スバル ヒコーキ野郎が創ったクルマ』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
技術偏重だった企業体質を大きく変える決断
2006年、社長になった森郁夫はカムリの受託生産に続いて、アメリカマーケットに集中する決定をした。
同社は2010年までの中期経営計画で「スバルらしさの追求」「グローバル視点の販売」を掲げた。グローバル視点とはつまり、アメリカのユーザーの声を聞くということだ。
生産現場といい、経営といい、富士重工はやっと人々の声を聞く会社になった。中島知久平以来、技術偏重だった同社の体質が変わったのがこの時と言っていい。
技術にプライドを持ち、技術で結果を出してきた人間は他人の話を聞かない傾向がある。だから、名車は出すけれど、スバル360をのぞいて富士重工の車はなかなかベストセラーにならなかった。
富士重工の経営の転換とは、謙虚になって、世の中の声を聞くところからスタートしたのである。
そして、具体的にはふたつの決断をした。ひとつは軽自動車の生産から撤退することで、もうひとつはアメリカマーケットに向けた自動車開発を始めることだった。
2008年、富士重工はトヨタからの出資比率を8.7パーセントから16.5パーセントに拡大して受け入れた。
同時に、軽自動車の開発・生産から段階的に撤退し、トヨタのグループ、ダイハツからOEM供給を受けることを発表した。
ちょっと前まではスズキと提携していたのだが、軽自動車をやめてスズキのライバルのダイハツから車を供給してもらうことにしたのである。
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March 23, 2020 at 07:01AM
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